「うちの会社、いくらで売れるんだろう」
会社の売却を考え始めたとき、最初に頭に浮かぶのがこの疑問だろう。答えを知るには、自社の企業価値を算出するシミュレーションが必要になる。
企業価値の算定方法はいくつかあるが、中小企業M&Aの現場で最も使われているのは「年倍法(年買法)」だ。計算式はシンプルで、「時価純資産 + 営業利益 x 倍率(2~5年分)」。この倍率が業種や事業特性によって変わるため、同じ営業利益でも売却額に大きな差が出る。
本記事では、飲食店・IT企業・製造業の3業種でシミュレーションを行い、自社の売却価格をざっくり見積もるための手がかりを提供する。
シミュレーション1:飲食チェーン(3店舗運営)
前提条件
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 年商 | 1億8,000万円 |
| 営業利益 | 1,200万円 |
| 時価純資産 | 2,500万円 |
| 従業員数 | 正社員8名、パート15名 |
| 店舗 | 都内3店舗(賃貸) |
年倍法による算定
飲食業の営業権倍率は1~3倍が相場だ。立地が良く、リピーター比率が高い店舗は3倍寄りに、売上が不安定で人材の流動性が高い店舗は1倍寄りになる。
| シナリオ | 倍率 | のれん | 売却想定額 |
|---|---|---|---|
| 保守的 | 1.5倍 | 1,800万円 | 4,300万円 |
| 標準 | 2.0倍 | 2,400万円 | 4,900万円 |
| 楽観的 | 3.0倍 | 3,600万円 | 6,100万円 |
飲食業の売却額が低めに出る理由は明確で、オーナーの属人性が高く、顧客がオーナー交代後に離れるリスクがあるからだ。ただし、複数店舗を展開してオペレーションが標準化されている場合は、倍率が上がりやすい。この例では3店舗のマニュアルとレシピが整備されていれば2.5~3.0倍も狙えるだろう。
シミュレーション2:SaaS型IT企業
前提条件
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 年商 | 3億円 |
| 営業利益 | 6,000万円 |
| 時価純資産 | 8,000万円 |
| MRR(月次経常収益) | 2,200万円 |
| 解約率 | 月1.2% |
| 従業員数 | 25名 |
年倍法による算定
IT企業、特にSaaS型は営業権倍率が高く設定される。経常収益の積み上げ型ビジネスモデルが、買い手にとっての予測可能性を高めるためだ。倍率は4~7倍が目安になる。
| シナリオ | 倍率 | のれん | 売却想定額 |
|---|---|---|---|
| 保守的 | 4倍 | 2億4,000万円 | 3億2,000万円 |
| 標準 | 5倍 | 3億円 | 3億8,000万円 |
| 楽観的 | 7倍 | 4億2,000万円 | 5億円 |
SaaS企業の場合、営業利益だけでなくMRRと解約率が評価を大きく左右する。月次解約率が1%を切っていれば高評価、2%を超えていると倍率は下がる。この例では解約率1.2%なので中程度の評価だ。
さらにIT企業では、エンジニアの在籍状況も重要だ。コア技術を持つエンジニアが退職リスクなく在籍しているかどうかで、1倍以上の差が出ることもある。
シミュレーション3:金属加工の製造業
前提条件
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 年商 | 5億円 |
| 営業利益 | 4,000万円 |
| 時価純資産 | 2億円(土地・設備含む) |
| 従業員数 | 40名 |
| 主要取引先 | 大手自動車メーカー2社 |
年倍法による算定
製造業の倍率は2~4倍が目安。設備の状態、技術力の希少性、取引先の安定性が倍率を左右する。
| シナリオ | 倍率 | のれん | 売却想定額 |
|---|---|---|---|
| 保守的 | 2倍 | 8,000万円 | 2億8,000万円 |
| 標準 | 3倍 | 1億2,000万円 | 3億2,000万円 |
| 楽観的 | 4倍 | 1億6,000万円 | 3億6,000万円 |
製造業は時価純資産の比率が大きい点が特徴だ。土地や設備など有形資産を多く保有しているため、のれん部分が控えめでも総額はそれなりの水準になる。この例では大手自動車メーカーとの安定した取引関係があり、倍率3倍以上を期待できるケースだろう。
DCF法でクロスチェックする
年倍法はわかりやすい反面、将来の成長性やリスクを十分に反映できないという弱点がある。そこでDCF法(割引キャッシュフロー法)による検証を加えると、より精度の高い試算になる。
DCF法の計算式は「企業価値 = 将来フリーキャッシュフローの現在価値の合計 + 残存価値の現在価値」。
先ほどのIT企業で簡易計算してみる
前提として、フリーキャッシュフロー(FCF)を年間5,500万円、年成長率10%、割引率12%、予測期間5年、永続成長率2%と仮定する。
| 年度 | FCF | 現在価値 |
|---|---|---|
| 1年目 | 6,050万円 | 5,402万円 |
| 2年目 | 6,655万円 | 5,306万円 |
| 3年目 | 7,321万円 | 5,211万円 |
| 4年目 | 8,053万円 | 5,118万円 |
| 5年目 | 8,858万円 | 5,026万円 |
| 5年分合計 | - | 2億6,063万円 |
| 残存価値の現在価値 | - | 約5億1,000万円 |
| 企業価値合計 | - | 約7億7,000万円 |
| 有利子負債控除後の株式価値 | - | 約6億5,000万円(仮) |
DCF法では年倍法より高い評価が出た。成長率10%という前提が効いている。ただし、成長率を5%に下げれば評価額は大幅に下がる。DCF法は前提のパラメータ次第で結果が大きく変わるため、「正しい数字」を一つ出すのではなく、複数のシナリオで幅を持たせて評価することが重要だ。
会社の査定においては、年倍法とDCF法の両方で試算し、結果が大きく乖離していないかを確認する使い方を推奨する。
売却額を左右する7つの要因
同じ業種・同じ利益水準でも、以下の要因によって売却額は大きく変動する。
1. 収益の安定性と予測可能性
月額課金やサブスクリプション型の収益は高く評価される。スポット売上に依存する事業は不安定と見なされ、倍率が下がる。
2. オーナーへの属人性
オーナーが抜けても事業が回るかどうか。業務マニュアルの整備、組織体制の構築、権限委譲の進み具合が評価に直結する。
3. 顧客の分散度
売上の30%以上を1社の顧客に依存している場合、その顧客を失ったときの影響が大きいためリスク要因になる。顧客が分散しているほど評価は上がる。
4. 従業員の定着率とスキル
キーパーソンの在籍状況、従業員の平均勤続年数、採用力。人材の質と安定性は、特に労働集約型の業種で売却額に直結する。
5. 成長余地
現状の利益水準だけでなく、未開拓の市場や横展開の可能性が評価される。買い手にとって「自分たちが経営すればもっと伸ばせる」と思えるかどうかがポイントだ。
6. 設備・資産の状態
製造業や飲食業では、設備の更新状況が重要。老朽化した設備の入れ替え費用が必要なら、その分が売却額から差し引かれる。
7. 財務の健全性
簿外債務がない、税務申告が適正、未払い残業代がない。こうした「ネガティブ要素がないこと」自体が、買い手の安心材料として評価を押し上げる。
売却額を上げるために今からできること
売却を決断してから準備を始めるのでは遅い。2~3年前から着手すべき項目がある。
利益の「正常化」がまず必要だ。中小企業では、オーナーの個人的な経費が混在しているケースが多い。高級車のリース、家族への給与、接待交際費。これらを整理し、事業としての実力値(正常収益力)を明確にする。正常化後の営業利益が高ければ、年倍法での売却額は直接的に上がる。
業務の標準化も効く。属人的な業務をマニュアル化し、オーナーがいなくても回る体制を作る。これだけで倍率が0.5~1.0上がることがある。
取引先との契約書を整備しておくことも見落としがちだ。口約束や暗黙の合意で取引している場合、買い手は「その取引は継続されるのか」と不安に感じる。書面化されていれば、それだけでリスク評価が下がる。
無料査定サービスを使ってみる
自社の売却額を手軽に試算できる無料ツールがいくつか公開されている。
M&A総合研究所の「カンタン会社査定シミュレーター」は、業種・売上・営業利益・純資産を入力すると1分程度で概算が出る。日本M&Aセンターの「会社売却先シミュレーション」は、売却額に加えて相性の良い買い手候補の傾向も示してくれる。
これらのツールはあくまで概算であり、実際のM&A交渉で提示される金額とはズレがある。しかし、「自社の売却額がどのレンジにあるのか」を把握する最初の一歩としては十分に役立つ。
本格的な売却を検討する段階では、M&A仲介会社やファイナンシャルアドバイザーに依頼して、デューデリジェンスを踏まえた詳細な企業価値評価を受けるべきだ。無料査定で概算をつかみ、専門家の評価で精度を上げる。この二段階のアプローチが現実的だろう。
シミュレーションは「出発点」にすぎない
ここまで3業種のシミュレーションを示してきたが、実際の売却額はこれらの数字通りにはならない。M&Aは相対取引であり、最終的な価格は買い手との交渉で決まるからだ。
とはいえ、シミュレーションを行う価値は大きい。自社の企業価値をざっくりでも把握していれば、M&A仲介会社の提案や買い手からの提示額が妥当かどうかを自分で判断できる。何も知らない状態で交渉に臨むのと、自分なりの試算を持って臨むのでは、交渉の主導権がまるで違ってくる。
年倍法で概算を出し、DCF法でクロスチェックし、7つの評価要因を自社に当てはめてみる。売却を考えていなくても、このプロセス自体が自社の強みと弱みを客観視する機会になるはずだ。