企業価値評価が必要な理由
M&Aにおいて、売り手と買い手がまず直面するのが「この会社はいくらなのか」という問いです。不動産のように公示価格があるわけではないため、何らかのロジックで価値を算定する必要があります。
企業価値評価(バリュエーション)の手法は大きく3つに分類されます。インカム・アプローチ、マーケット・アプローチ、コスト・アプローチ。それぞれの代表格が、DCF法、マルチプル法、時価純資産法です。
どの手法を使うかで結果は変わります。だからこそ、各手法の考え方と限界を正しく理解しておくことが重要です。
DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法)
基本的な考え方
DCF法は「その会社が将来どれだけのキャッシュを生み出すか」を予測し、それを現在価値に割り引く手法です。インカム・アプローチの代表格であり、理論的には最も合理的とされています。
計算の骨格はシンプルです。
- 将来5年程度のフリーキャッシュフロー(FCF)を予測する
- 5年目以降の価値をターミナルバリューとして算出する
- それぞれを割引率(WACC)で現在価値に変換する
- すべてを合計したものが企業価値になる
具体例
年間FCFが3,000万円、成長率2%、WACC 10%の会社を想定します。ターミナルバリューは3,000万円 ×(1+2%)÷(10%-2%)= 3億8,250万円。これに5年分のFCFの現在価値を加算すると、企業価値は約3.5億円と算出されます。
DCF法の弱点
問題は、将来の予測が前提条件に大きく依存する点です。成長率を2%から4%に変えるだけで、企業価値は数千万円単位で変動します。割引率も同様。中小企業では過去の業績にブレが大きく、5年先の売上を精緻に予測すること自体が困難です。
そのため、中小企業のM&Aでは「DCF法単独で価格を決める」ケースはほとんどありません。あくまで他の手法との併用が前提になります。
マルチプル法(類似会社比較法)
基本的な考え方
マルチプル法は、類似する上場企業の指標を使って対象会社の価値を算出する手法です。マーケット・アプローチに分類されます。
代表的な指標は以下の通りです。
- EV/EBITDA倍率: 企業価値 ÷ EBITDA(営業利益+減価償却費)
- PER: 株価 ÷ 1株当たり純利益
- PSR: 株価 ÷ 1株当たり売上高
たとえばIT業界の類似上場企業のEV/EBITDA倍率が平均8倍で、対象会社のEBITDAが5,000万円なら、企業価値は4億円と計算できます。
実務でのポイント
マルチプル法の難しさは「何を類似企業とするか」にあります。上場企業と中小企業では、流動性・信用力・成長ステージが全く異なるため、そのまま適用すると過大評価になりがちです。
実務では非流動性ディスカウントとして20〜40%を差し引くのが通例。先ほどの例なら、4億円 ×(1-30%)= 2.8億円が調整後の評価額になります。
SaaS事業ではARR(年間経常収益)の5〜10倍、飲食業ではEBITDAの3〜5倍といった業種別の「相場感」も存在します。ただし、これらはあくまで上場企業ベースの数値であることを忘れてはいけません。
時価純資産法
基本的な考え方
時価純資産法は、会社の保有資産を時価で評価し直し、そこから負債を差し引いた残りを企業価値とする手法です。コスト・アプローチに分類されます。
計算は極めて明快。帳簿上の資産を時価に修正し(含み益のある不動産、回収不能な売掛金など)、負債を差し引けば完了です。
営業権(のれん)の加算
時価純資産法だけでは、会社の「稼ぐ力」が反映されません。赤字会社も黒字会社も、純資産が同額なら同じ評価になってしまう。
そこで中小企業のM&Aでは、時価純資産+営業権(いわゆる年買法)が定番の手法として使われています。営業権は「実質利益 × 2〜5年分」で計算するのが一般的です。
たとえば時価純資産8,000万円、年間実質利益1,500万円の会社であれば、営業権を3年分とすると8,000万円+4,500万円=1億2,500万円が評価額になります。
限界
時価純資産法は「今の資産」に着目する手法のため、将来の成長性が反映されにくいという欠点があります。急成長中のスタートアップには向きません。一方で、不動産や設備を多く持つ会社の評価には適しています。
3手法の使い分け
| 手法 | 向いているケース | 不向きなケース |
|---|---|---|
| DCF法 | 安定的なCFが見込める事業 | 業績の変動が大きい中小企業 |
| マルチプル法 | 類似上場企業が存在する業種 | ニッチ産業、比較対象がない場合 |
| 時価純資産法 | 資産が多い製造業・不動産業 | 資産が少ないサービス業・IT企業 |
実務では「時価純資産法をベースに、DCF法やマルチプル法で検証する」というアプローチが最も多いです。1つの手法に固執せず、複数の角度から妥当性を確認することが、適正な価格交渉の土台になります。
まとめ
企業価値評価の3手法は、それぞれ異なる前提に立っています。DCF法は将来の稼ぎ、マルチプル法は市場の相場、時価純資産法は今の資産。どれが正解というものではなく、対象会社の特性に応じて使い分け、複数の結果を比較することが実務の基本です。
自社のバリュエーションに疑問がある場合は、まず時価純資産と営業権で概算を出し、そのうえで専門家に相談するのが効率的な進め方です。