2つのスキームの根本的な違い
M&Aのスキームを大きく分けると、「株式譲渡」と「事業譲渡」の2種類があります。会社分割や合併など他のスキームもありますが、中小企業のM&Aでは実務上この2つがほぼすべてを占めています。
両者の違いを一言でいえば、**株式譲渡は「会社の持ち主が変わる」、事業譲渡は「会社の中身を売買する」**です。この違いが、手続き・税務・リスク管理のあらゆる面に波及します。
株式譲渡とは
株式譲渡は、売り手オーナーが保有する株式を買い手に譲渡するスキームです。会社の法人格はそのまま存続し、社名・許認可・契約関係・従業員の雇用もすべて引き継がれます。
メリット
手続きがシンプル
株主名簿の書き換えと、場合によっては役員変更の登記で完了します。取引先や従業員との個別契約を巻き直す必要がない。これが中小企業で株式譲渡が好まれる最大の理由です。
許認可がそのまま使える
飲食業の営業許可、建設業許可、介護事業の指定など、取得に時間がかかる許認可をそのまま承継できます。事業譲渡では原則として許認可の再取得が必要であり、これだけで数カ月かかることもあります。
売り手個人の税率が低い
個人オーナーが株式を譲渡した場合、分離課税で約20.315%。事業譲渡の総合課税(最大約55.945%)と比較して圧倒的に有利です。
デメリット
簿外債務を引き継ぐリスク
株式譲渡では会社そのものを引き取るため、帳簿に載っていない債務(未払残業代、訴訟リスク、環境汚染の原状回復義務など)も自動的に承継されます。DDで発見できなかった簿外債務が後から顕在化するケースは決して少なくありません。
不要な資産・事業も含まれる
会社全体を取得するため、買い手にとって不要な資産や事業部門も一緒についてきます。遊休不動産、使っていない子会社の株式、採算の取れない事業ラインなど。これらは買収後に整理する必要があり、追加のコストと手間が発生します。
のれん償却ができない
税務上、株式の取得原価にプレミアム(のれん相当額)が含まれていても、それを損金算入することはできません。買い手にとって節税メリットがないのは大きなデメリットです。
事業譲渡とは
事業譲渡は、会社が営む事業の全部または一部を、資産・負債ごと他の会社に売却するスキームです。売買対象を個別に指定するため、買い手は「欲しいものだけ」を選んで取得できます。
メリット
リスクの遮断
最大のメリットは、簿外債務を引き継がないことです。契約書に列挙した資産・負債のみが承継対象となるため、未開示の債務が買い手に移転することは原則としてありません。
必要な資産だけを取得できる
複数事業を営む会社から、特定の事業部門だけを買い取ることが可能。不要な事業や資産は引き取らなくて済みます。
のれん償却が可能
取得したのれん(営業権)は税務上5年間で均等償却でき、損金に算入されます。のれんが大きい案件では、この節税効果だけで数百万〜数千万円に達する場合もあります。
デメリット
手続きが煩雑
事業譲渡の最大の難点は、契約関係の個別承継です。取引先との売買契約、賃貸借契約、リース契約、雇用契約――これらをすべて個別に移転する必要があります。
取引先が100社あれば、100社すべてに同意を取り付ける作業が発生。実務上、ここがボトルネックになるケースが多い。
許認可の再取得が必要
事業譲渡では許認可は承継されないため、買い手が改めて取得する必要があります。建設業許可の新規取得には数カ月、介護事業の指定は申請時期が限定されていることもあり、スケジュールに大きな影響が出ます。
従業員の転籍手続き
株式譲渡では雇用契約がそのまま承継されますが、事業譲渡では従業員一人ひとりの同意が必要です。買い手との新しい雇用契約を締結し直すことになるため、雇用条件(給与・退職金・有給残日数)の調整が避けられません。
消費税が発生する
棚卸資産、設備、のれんなどの課税資産には消費税10%が課されます。のれん5,000万円なら消費税だけで500万円。この負担は無視できません。
比較一覧表
| 比較項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 取引の対象 | 株式(会社全体) | 事業の全部または一部 |
| 法人格 | 存続 | 変更なし(売り手法人は存続) |
| 契約関係の承継 | 自動的に承継 | 個別に同意が必要 |
| 許認可 | そのまま承継 | 再取得が必要 |
| 従業員 | 雇用継続 | 転籍手続きが必要 |
| 簿外債務リスク | あり | 原則なし |
| 売り手(個人)の税率 | 約20.315% | 最大約55.945% |
| 買い手ののれん償却 | 不可 | 5年均等償却 |
| 消費税 | なし | 一部資産に課税 |
| 手続きの簡便さ | シンプル | 煩雑 |
どちらを選ぶべきか:判断基準
以下のフローで判断するのが実務的です。
株式譲渡を選ぶべきケース
- 会社全体を譲渡する場合
- 許認可の承継が重要な業種(建設、飲食、介護等)
- 取引先・従業員との契約関係が多い
- 売り手が個人オーナーで税負担を抑えたい
事業譲渡を選ぶべきケース
- 会社の一部の事業のみを売買する場合
- 簿外債務のリスクが高い(DD で十分な調査ができない等)
- 買い手がのれん償却による節税を重視する
- 売り手法人が譲渡後も別事業を継続する
実際には、売り手の税務メリットと買い手のリスク管理・節税メリットが対立することが多く、双方の税理士を交えた検討が不可欠です。「どちらが得か」ではなく、「取引全体として最適なスキームは何か」という視点で判断してください。
まとめ
株式譲渡は手続きのシンプルさと売り手の税務メリットが強み。事業譲渡はリスク遮断と買い手の節税メリットが強み。どちらにも明確なトレードオフがあり、案件の特性によって最適解は変わります。
スキーム選択はM&A全体の成否を左右する最初の重要判断です。感覚ではなく、税務シミュレーションとリスク分析に基づいて選択しましょう。