M&A全体のスケジュール感
M&Aにかかる期間は案件ごとに差が大きい。仲介会社への正式依頼からクロージングまでの平均は約9ヶ月。短ければ3ヶ月で終わるケースもあるし、条件がまとまらず1年以上かかることもある。
期間を左右する要因は3つ。売り手と買い手の条件ギャップ、デューデリジェンスの範囲と深さ、そして許認可の引継ぎや行政手続きの有無だ。
M&Aの進め方を大きく分けると、準備フェーズ、マッチングフェーズ、交渉・調査フェーズ、契約・実行フェーズの4段階になる。それぞれの段階で何が起き、何を判断しなければならないのかを順に見ていく。
準備フェーズ -- 初期検討とアドバイザー選定
売り手の初期検討
M&Aを考え始めたら、まずやるべきことがある。自社の現状把握だ。直近3期分の決算書、借入金の残高、主要取引先との契約内容、従業員の年齢構成と待遇、不動産や設備の状態。これらを棚卸しすることで、自社がどれくらいの価値で評価されそうかの目安がつく。
この段階で多くの経営者が悩むのは、誰に相談すべきかという点だ。顧問税理士に相談するオーナーが多いが、税理士はM&Aの専門家ではない。M&A仲介会社、FA(ファイナンシャルアドバイザー)、事業承継・引継ぎ支援センターといった選択肢を比較検討したほうがいい。
買い手の初期検討
買い手側は、何のためにM&Aをするのか、買収の目的を明確にすることから始まる。新規エリアへの進出なのか、技術や人材の獲得なのか、既存事業とのシナジーなのか。目的が曖昧なまま案件を探し始めると、判断軸がぶれて時間だけが過ぎる。
買収予算の上限も事前に決めておく。自己資金に加え、銀行融資やM&A向けローンをどこまで使えるか。買収後の運転資金も含めた資金計画が必要だ。
アドバイザーの選定
M&A仲介会社は売り手と買い手の双方を仲介するモデルで、マッチング力が強い反面、利益相反のリスクがある。FAは売り手か買い手の片方に付いて交渉を代行する。中小企業M&Aでは仲介会社の利用が主流だが、案件規模が大きくなるとFA起用が増える。
選定のポイントは、業界経験、手数料体系、担当者の力量の3つ。手数料は最低報酬額に注目する。成功報酬のパーセンテージが低くても最低報酬が2,000万円なら、小規模案件では割高になりかねない。
アドバイザーとの契約形態には専任と非専任がある。専任契約は1社としか契約できない代わりに、アドバイザーが優先的にリソースを割いてくれる。非専任は複数社に依頼できるが、各社の動きが薄くなりがちだ。
マッチングフェーズ -- 案件探索から初期接触
ノンネームシートでの打診
アドバイザリー契約を結んだら、売り手の情報をノンネームシートにまとめる作業が始まる。ノンネームシートとは、社名を伏せたまま業種、地域、売上規模、従業員数、譲渡理由などの概要を記載した匿名の資料だ。
このノンネームシートを使い、買い手候補に打診を行う。仲介会社が自社のネットワークやデータベースから候補をリストアップし、売り手の了承を得たうえで個別に提案する流れが一般的だ。
NDA(秘密保持契約)の締結
ノンネームシートを見て興味を持った買い手候補は、まずNDAを締結する。NDAはNon-Disclosure Agreementの略で、開示された情報を第三者に漏らさないことを約束する契約だ。
NDAを結んだからといって交渉が確定するわけではない。あくまで詳細情報を見るための入口だ。売り手側は、競合他社や取引先にノンネームが渡っていないか、アドバイザーに確認しておく必要がある。
IM(企業概要書)の確認
NDA締結後、売り手側は買い手にIM(Information Memorandum)を開示する。企業概要書とも呼ばれ、社名、詳細な財務データ、事業内容、組織体制、主要取引先、資産状況などが記載された数十ページにわたる資料だ。
買い手はIMを精読し、自社の買収戦略と合致するかを判断する。この段階で買収の初期的な価格レンジを検討し、追加質問を出すことが多い。IMの内容に疑問点や不明点があれば、ここで遠慮なく確認しておくべきだ。後になって発覚するほど、交渉への影響が大きくなる。
交渉・調査フェーズ -- トップ面談からDD
トップ面談
IMを確認して前向きに検討したい場合、次はトップ面談だ。買い手の経営者と売り手のオーナーが直接会って対話する場になる。
トップ面談は価格交渉の場ではない。お互いの経営理念、事業に対する思い、M&A後の方向性を確認し合う場だ。売り手にとっては、大切な従業員と会社を任せられる相手かどうかを見極める機会になる。買い手にとっては、オーナーの人柄や事業へのこだわりを直接聞ける貴重な時間だ。
中小企業M&Aでは、トップ面談の印象が成約を左右することが少なくない。財務条件が折り合っても、人と人の相性が合わなければ破談になる。
LOI(意向表明書)と基本合意書
トップ面談を経て双方が前向きであれば、買い手がLOI(Letter of Intent)を提出する。LOIには買収希望価格、スキーム、スケジュール、独占交渉権の要否といった基本条件が記載される。
LOIの内容に売り手が同意すれば、基本合意書の締結に進む。基本合意書では価格レンジ、スキーム、DD実施の合意、独占交渉期間などを取り決める。法的拘束力を持たせる条項と持たせない条項を分けるのが一般的で、独占交渉権や秘密保持義務には拘束力を持たせることが多い。
DD(デューデリジェンス)
基本合意後、買い手は専門家チームを組んでDD(デューデリジェンス)を実施する。DDとは対象会社の実態を多角的に調査する手続きで、M&Aプロセスの中で最も重要なステップの一つだ。
DDの種類は主に4つ。財務DDは過去の業績の正確性、簿外負債の有無、運転資金の実態を調べる。法務DDは契約関係、訴訟リスク、コンプライアンス上の問題を洗い出す。税務DDは過去の税務処理の妥当性や潜在的な税務リスクを確認する。事業DDは市場環境、競争優位性、将来の収益見通しを分析する。
DDの期間は通常2週間から2ヶ月程度。中小企業の場合は1ヶ月前後で完了するケースが多い。費用は案件規模にもよるが、弁護士・会計士・税理士への報酬として数百万円から1,000万円以上かかることもある。
DDで重大なリスクが発見された場合、買収価格の引き下げ交渉に入るか、条件の変更を求めるか、最悪の場合はディールブレイク(取引中止)になる。売り手がDDに備えてやるべきことは、事前に自社の問題点を把握し、可能な範囲で改善しておくこと。隠し事は必ずDDで露見する。
契約・実行フェーズ -- 最終契約からクロージング
最終条件交渉と契約書の作成
DDの結果を踏まえて最終的な条件交渉が行われる。DD前の基本合意から価格が変動することは珍しくない。簿外負債が見つかった、想定よりも設備投資が必要だった、逆に収益性が予想以上だったなど、DDの結果が価格に反映される。
最終契約書(SPA:Stock Purchase AgreementやAPA:Asset Purchase Agreement)には、譲渡価格、表明保証、誓約事項、補償条項、クロージング条件が盛り込まれる。
表明保証とは、売り手が「開示した情報に嘘はない」と約束する条項だ。万が一、表明保証に違反する事実がクロージング後に発覚した場合、買い手は売り手に対して補償を請求できる。中小企業M&Aでは、この表明保証の範囲と補償上限額が最終交渉のヤマ場になることが多い。
クロージング
最終契約書を締結したら、いよいよクロージングだ。クロージングとは契約の履行、つまり株式の引渡しと対価の支払いを実行する手続きを指す。
クロージング当日の流れは、株式譲渡の場合、株式の名義書換手続きと譲渡対価の振込がほぼ同時に行われる。事業譲渡の場合は、個別の資産・契約の移転手続きが発生するため、クロージングに数週間かかることもある。
クロージング日は最終契約で定められるが、DDの完了から1〜3ヶ月後に設定されることが多い。許認可の取得や行政届出が必要な場合はさらに長くなる。
クロージング後の引継ぎ
クロージングで取引は法的に完了するが、実務はここからが本番だ。従業員への説明、取引先への挨拶、業務の引継ぎ、システムの統合。PMI(Post Merger Integration)と呼ばれる統合プロセスが始まる。
売り手のオーナーが一定期間、顧問や引継ぎ役として残るケースは多い。期間は3ヶ月から1年程度が一般的で、最終契約書にロックアップ条項として明記されることもある。
売り手が準備段階でやるべき3つのこと
M&Aプロセスを円滑に進めるために、売り手がアドバイザーに相談する前から着手すべきことがある。
1つ目は、決算書と帳簿の整備。税務申告用に最適化した決算書と、M&A用に実態を反映した決算書は違う。役員報酬の適正化、私的な経費の整理、簿外債務の洗い出しを事前に進めておくと、DDがスムーズになる。
2つ目は、経営の属人化の解消。社長しか知らない取引先、社長しかできない業務があると、買い手は引継ぎリスクを理由に評価額を下げてくる。業務マニュアルの作成や権限の委譲を進めておく。
3つ目は、譲渡後の自分自身の人生設計。いくらで売りたいのか、従業員の処遇はどうしたいのか、譲渡後に自分は何をするのか。これが明確でないと、条件交渉の段階で判断がぶれる。
買い手が見落としがちなポイント
買い手にありがちな失敗は、案件の良い面ばかりを見て、リスクを過小評価することだ。
IMの数字を鵜呑みにせず、DDで徹底的に裏を取る。特に中小企業の場合、会計処理が税務基準に寄っていて実態と乖離していることが多い。売上の継続性、顧客の集中度、キーマンへの依存度は必ず確認する。
もう一つは、買収後のPMI計画を契約前に作ること。買収した後に何をどう統合するか、誰が統合のリーダーになるか、初日に何をアナウンスするか。これをクロージング前に固めておかないと、買収後に現場が混乱する。
M&Aの成否は、契約までのプロセスよりも、契約後の100日間で決まると言っても言い過ぎではない。