介護業界のM&Aが過去最多を更新し続ける理由
介護業界のM&Aは増加の一途をたどっている。日本経済新聞の報道によると、2024年の介護関連M&Aは前年比3割増で過去最多を記録した。
なぜこれほどM&Aが活発なのか。
最大の要因は慢性的な人手不足だ。厚生労働省の推計では、2025年時点で約34万人の介護人材が不足するとされていた。現実はその推計どおり、あるいはそれ以上に深刻な状況が続いている。求人を出しても応募が来ない。来ても定着しない。人件費は上がり続ける一方で、介護報酬の伸びには限界がある。
2つ目の要因は経営者の高齢化。介護保険制度が始まった2000年に事業を立ち上げた経営者の多くが、25年以上を経て引退の時期を迎えている。子どもや親族に継がせるケースは少なく、第三者への承継が現実的な選択肢となった。
3つ目は介護報酬改定の影響。2024年度の介護報酬改定では処遇改善加算の一本化が行われ、小規模事業者にとっては事務負担が増した。報酬体系が変わるたびに経営の先行きが読みにくくなり、単独経営に限界を感じる事業者が増えている。
結果として、大手介護グループによる小規模事業所の買収、異業種からの介護事業参入、同業者間の統合が同時並行で進んでいる。
介護事業所の「指定」の引継ぎ方法
介護事業は許認可ビジネスだ。介護保険法に基づく事業所の「指定」がなければ、介護報酬を請求できない。M&Aにおいて、この指定をどう引き継ぐかが実務上の最重要論点になる。
株式譲渡の場合。法人格が同一のまま経営者だけが変わる。指定はそのまま維持されるため、利用者へのサービス提供に空白は生じない。変更届の提出は必要だが、指定の再申請は不要だ。介護事業のM&Aで株式譲渡が主流なのは、この指定の継続性が最大の理由になる。
事業譲渡の場合。指定は法人に対して付与されているため、事業だけを切り出して別法人に移す場合は、買い手側で新たに指定申請を行う必要がある。指定が下りるまでサービス提供ができなくなるため、実務上は「みなし指定」や行政との事前協議でスケジュールを調整する。
都道府県や市区町村によって手続きの運用が異なる点にも注意が必要だ。A市では事前相談から指定まで2カ月かかるが、B市では1カ月で済むといった差がある。クロージング日の設定は、行政側の審査スケジュールに合わせて決めることになる。
指定の種類も複数にまたがるケースが多い。訪問介護、通所介護、居宅介護支援など、1つの法人が複数の指定を持っている場合、それぞれについて引継ぎの手続きが必要になる。
利用者・入居者への対応と引継ぎ
介護事業のM&Aで最も繊細な対応が求められるのは、利用者とそのご家族への説明だ。
利用者にとって、介護サービスの提供者が変わるというのは大きな不安材料になる。特に入所系施設では、生活の場そのものに関わる問題だ。
説明のタイミング。クロージング前に利用者やご家族へ説明するのが望ましいが、情報漏洩のリスクとの兼ね合いがある。実務的には、クロージング直前もしくはDay1に書面と口頭で説明するケースが多い。
伝えるべき内容。サービス内容に変更があるのかないのか。担当のケアマネジャーや介護職員は変わるのか。利用料金は据え置きなのか。これらを明確に伝える。「何も変わりません」と言い切れるなら、それが最も安心感を与えるメッセージになる。
重要事項説明書の再交付。事業譲渡で運営法人が変わる場合は、重要事項説明書の再交付と利用契約の再締結が必要になる。株式譲渡でも、運営法人の代表者変更を反映した書面を交付するのが丁寧な対応だろう。
利用者の離反は売上に直結する。M&A後に利用者が他の事業所に移ってしまうと、想定していた収益が得られない。買い手側のデューデリジェンスでは、利用者の平均利用年数やケアマネとの関係性も確認しておきたい。
人材確保がM&A成否を決める
介護事業の価値は「人」に集約される。建物や設備は後から用意できるが、介護の現場を回せる人材は簡単には確保できない。
買い手が見ているのは以下の点だ。
- 介護福祉士の在籍人数と比率
- 介護職員処遇改善加算の算定状況
- 職員の平均勤続年数と離職率
- 管理者・サービス提供責任者の年齢と経験
- 夜勤シフトを回せるだけの人員体制
人員配置基準を満たせなくなると、指定の取消しや報酬の減算につながる。M&A後に大量退職が発生すれば、事業の継続自体が危うくなるため、人材のリテンションはPMIの最優先課題となる。
効果的なリテンション策には次のようなものがある。
処遇の維持と明示。給与・賞与・退職金の水準を維持し、その旨を書面で通知する。「変わるかもしれない」という曖昧な状態が最も不安を煽る。
現場の裁量を守る。介護の現場には、その事業所ならではのケアの方針や文化がある。買収直後にマニュアルや業務フローを一方的に変えると、ベテラン職員の反発を招く。
前オーナーからの引継ぎ。職員との信頼関係が前オーナーとの個人的な絆に依存しているケースは珍しくない。前オーナーに一定期間残ってもらい、新体制への橋渡し役を担ってもらう。
売却相場と価格評価のポイント
介護事業のM&A相場は、「時価純資産 + 営業利益の1.5年から3年分」が標準的な目安だ。他業種の2年から5年分と比べると、やや低めの倍率に落ち着く傾向がある。
この倍率が低めになる背景には、介護報酬という公定価格に収益が縛られる構造がある。報酬改定で単価が下がれば、利益が直撃される。経営者の裁量で価格を上げることができない業種だからこそ、将来収益の見通しに慎重な評価がなされる。
評価を高める要素としては以下が挙げられる。
- 稼働率が高い(通所系で80%以上、入所系で95%以上が目安)
- 介護職員処遇改善加算の上位区分を算定している
- 介護福祉士比率が高い
- 地域での知名度やケアマネとの関係性が強い
- 施設が比較的新しく、大規模修繕が当面不要
逆に評価を下げるのは、人員不足による報酬減算の履歴、行政指導の記録、施設の老朽化、特定のケアマネに利用者が偏っている構造などだ。
入所系施設の場合は不動産評価も加わるため、金額が大きくなりやすい。土地・建物を所有しているのか賃借なのかで、スキームの設計も変わってくる。
行政への届出手続き
介護事業のM&Aでは、行政への届出が多岐にわたる。主なものを整理する。
株式譲渡の場合
- 役員変更届(都道府県または市区町村)
- 介護給付費算定に係る届出(加算の算定要件に変更がある場合)
- 社会保険・労働保険の届出
事業譲渡の場合
- 廃止届(旧法人)
- 新規指定申請(新法人)
- 利用者への説明と同意取得
- ケアマネジャーへの通知
- 従業員の労働契約の取り扱い(承継か再雇用か)
事業譲渡では、廃止届と新規指定のタイミングを合わせなければならない。1日でもサービスが途切れると、利用者の生活に影響が出る。行政との事前調整は必須であり、指定権者との協議なしにクロージング日を決めるべきではない。
介護保険事業所番号も論点になる。株式譲渡なら事業所番号は変わらないが、事業譲渡で新規指定を受けると番号が変わる。ケアプランや給付管理に影響するため、居宅介護支援事業所やサービス提供事業所への連絡が必要だ。
介護事業M&Aで売り手が準備すべきこと
最後に、売却を考えている介護事業者がやるべき準備を挙げる。
運営データの整備。利用者数の推移、稼働率、介護度別の構成比、加算の算定状況を月次で整理しておく。買い手が最初に求めるのはこれらの数値だ。
人員配置の適正化。人員基準を下回っている期間がないか確認する。過去に報酬減算を受けた履歴がある場合、その原因と改善策を説明できるようにしておく。
施設の修繕計画。建物の耐用年数、設備の更新時期、消防設備の点検状況など、ハード面の状態を把握しておく。買い手は購入後にどの程度の追加投資が必要かを見積もる。
ケアマネとの関係の可視化。利用者の紹介元であるケアマネとの関係が前オーナーの個人的なつながりに依存しているなら、組織としての関係に移行しておくことが望ましい。
介護事業のM&Aは、許認可、人材、利用者という3つの要素が密接に絡み合う。どれか1つが欠けても、買い手にとっての価値は大きく毀損される。売却を決断したら、この3要素を早期に棚卸しし、引継ぎの準備に着手したい。