事業承継の最大の壁は「相続」にある
中小企業のオーナー経営者にとって、事業承継の最大の障壁は、技術の引継ぎでも顧客の維持でもない。相続税だ。
業績の良い会社ほど自社株式の評価額は高くなる。年商3億円、営業利益3,000万円の中小企業であれば、自社株の相続税評価額が1億円を超えることは珍しくない。相続税率は最高55%。仮に自社株の評価額が1億5,000万円で、他の相続財産を合わせた課税遺産総額が2億円であれば、相続税額は数千万円に達する。
問題は、自社株を相続しても現金が入ってこないことだ。株式は換金できない。にもかかわらず相続税は現金で納めなければならない。この「資産はあるのにキャッシュがない」という矛盾が、事業承継と相続の本質的な問題である。
自社株の相続税評価額はなぜ高くなるか
非上場株式の相続税評価は、国税庁の「財産評価基本通達」に基づいて行われる。評価方法は会社の規模によって異なるが、主に以下の2方式が使われる。
類似業種比準方式。上場している類似業種の株価を基に、配当・利益・純資産の3要素で評価する。利益が高い会社ほど評価額は上がる。
純資産価額方式。会社の資産から負債を差し引いた純資産額を基に評価する。含み益のある不動産や有価証券を保有していると、評価額が大幅に膨らむ。
中小企業の場合、この2方式の併用か、純資産価額方式の単独適用になる。いずれにせよ、黒字経営を続けてきた会社ほど自社株の評価額は高くなる。「経営を頑張ってきた結果、後継者に莫大な相続税が発生する」という皮肉な構造が生まれる。
事業承継における相続税対策は、この評価額をいかにコントロールするかが核心になる。
生前贈与の活用:暦年贈与と相続時精算課税
自社株を後継者に移転する手段として、経営者の生前に贈与する方法がある。相続ではなく贈与を使うことで、タイミングと金額を計画的にコントロールできる。
暦年贈与
毎年110万円の基礎控除を活用し、少しずつ自社株を贈与する方法だ。年間110万円以下であれば贈与税はかからない。
ただし2024年1月以降、暦年贈与に大きな変更が加わった。生前贈与加算の期間が「3年」から「7年」に延長されたのだ。被相続人の死亡前7年以内に行われた暦年贈与は、相続財産に加算されて相続税の課税対象になる。
つまり、暦年贈与で事業承継の相続税対策をするなら、早期に着手しなければ効果が薄い。70歳から始めて77歳で亡くなれば、7年分の贈与はすべて相続財産に持ち戻される計算だ。
なお、延長された4年間(死亡前4〜7年)の贈与については、総額から100万円を控除できる経過措置がある。完全な持ち戻しではないが、節税効果は大幅に減殺される。
相続時精算課税
2,500万円までの贈与を非課税とし、相続時にまとめて精算する制度だ。2024年1月の税制改正で大きく使い勝手が改善された。
改正のポイント:年間110万円の基礎控除が新設。2024年1月以降、相続時精算課税制度を選択した場合でも、年間110万円までの贈与は贈与税がかからず、相続財産への加算も不要になった。この110万円は暦年贈与の基礎控除とは別の枠だ。
相続時精算課税を選択し、毎年110万円以内で自社株を贈与すれば、贈与税はゼロ、相続財産への加算もゼロになる。2,500万円の特別控除枠を温存しつつ、年110万円の基礎控除を使って計画的に自社株を移転できる設計が可能になった。
相続時精算課税のメリット
- 2,500万円の特別控除 + 年110万円の基礎控除(相続財産に加算不要)
- 贈与時の株価で相続税を計算するため、贈与後に株価が上昇しても評価額が固定される
- 暦年贈与の7年持ち戻しルールが適用されない
相続時精算課税のデメリット
- 一度選択すると暦年贈与に戻れない(贈与者ごとに選択)
- 相続時にすべて精算されるため、相続税の総額が減るわけではない(株価が下落した場合は不利になる可能性)
- 小規模宅地等の特例との関係に注意が必要
事業承継で相続時精算課税を活用するなら、自社株の評価額が低いタイミングで贈与するのが鉄則だ。業績が一時的に悪化した年、設備投資で純資産が減少した年などが狙い目になる。贈与時の評価額で相続税が計算されるため、低い時に贈与して、その後に業績が回復すれば大きな節税効果を得られる。
事業承継税制の特例措置
生前贈与や相続時精算課税では対応しきれない高額な自社株に対して、事業承継税制の特例措置が用意されている。
制度の概要
後継者が先代経営者から自社株式を贈与または相続で取得した場合、贈与税・相続税の全額が納税猶予される。猶予された税額は、一定の条件を満たし続ければ最終的に免除される。
一般措置では猶予対象が発行済株式の2/3までだったが、特例措置では全株式が対象になる。相続税の猶予割合も一般措置の80%に対し、特例措置は**100%**だ。
適用要件の主なポイント
- 特例承継計画を2026年3月31日までに都道府県に提出すること
- 贈与・相続を2027年12月31日までに実行すること
- 後継者が贈与直前に役員であること(2025年の改正で、3年以上の役員在任要件は廃止)
- 5年間の事業継続要件(雇用の8割維持等、ただし充足できない場合も理由書の提出で猶予継続が可能)
注意点
事業承継税制は強力な制度だが、適用後のリスクも理解しておく必要がある。自社株を譲渡した場合や、会社が解散した場合には、猶予されていた税額の全部または一部を納付しなければならない。M&Aで自社株を第三者に売却する場合も猶予が打ち切られるため、将来的にM&Aを検討する可能性がある場合は慎重に判断すべきだ。
特例措置の申請期限が迫っている。計画提出は2026年3月31日まで、実行は2027年12月31日まで。延長の見通しは不透明であり、「いつかやろう」では間に合わなくなる可能性が高い。
遺留分の問題と民法特例
遺留分が事業承継を阻害する構造
遺留分とは、法定相続人に保障された最低限の相続分のことだ。被相続人が遺言で全財産を後継者に譲ると書いても、他の相続人は遺留分に相当する金額を請求できる。
事業承継において遺留分が問題になるのは、以下のケースだ。
- 経営者の個人資産のうち自社株の占める割合が高い
- 後継者以外に複数の相続人がいる
- 後継者に自社株を集中させたいが、他の相続人に渡す現金資産が不足している
たとえば、個人資産2億円のうち1億5,000万円が自社株、残り5,000万円が現金・不動産という経営者が亡くなった場合を考える。後継者に自社株をすべて相続させたくても、配偶者や他の子どもの遺留分を侵害すれば、遺留分侵害額請求を受ける。後継者が遺留分に相当する金額を現金で支払わなければならず、資金繰りが破綻するリスクがある。
最悪のシナリオは、遺留分の支払いのために自社株を分散させざるを得なくなるケースだ。経営権が分散し、会社の意思決定が麻痺する。
経営承継円滑化法による民法特例
この問題に対応するために、経営承継円滑化法に基づく「遺留分に関する民法特例」が設けられている。
除外合意。先代経営者から後継者に贈与された自社株式について、遺留分算定の基礎財産から除外する。つまり「この自社株は遺留分の計算に含めない」という合意だ。
固定合意。自社株式の価額を、合意時の時価に固定する。贈与後に株価が上昇しても、遺留分の算定には合意時の評価額を使う。
いずれも、推定相続人全員の合意が必要だ。一人でも反対すれば適用できない。手続きの流れは以下の通りである。
- 推定相続人全員による合意書の作成
- 経済産業大臣への確認申請
- 家庭裁判所への許可申請
実務上のハードルは「推定相続人全員の合意」だ。後継者以外の相続人にとっては、自分の遺留分が減少する合意に応じることになるため、見返りとして現金や不動産の分配を約束するなどの配慮が不可欠になる。
家族間の感情的な対立がある場合は、弁護士や税理士を交えた第三者の場で協議を進めるのが現実的だ。
養子縁組による相続人増加策
相続税の基礎控除は「3,000万円 + 600万円 x 法定相続人の数」で計算される。法定相続人が増えれば基礎控除額が増え、相続税率の適用区分も下がる。
養子縁組は、法定相続人を増やすことで相続税の負担を軽減する手法として古くから使われてきた。事業承継の場面では、後継者の配偶者を養子にするケースが典型的だ。
養子縁組の相続税上の効果
- 基礎控除が600万円増加(養子1人あたり)
- 生命保険金・退職手当金の非課税枠が500万円増加(養子1人あたり)
- 相続税の累進税率が緩和される
養子縁組の制限
相続税法上、基礎控除の計算に含められる養子の数には上限がある。
- 実子がいる場合:養子は1人まで
- 実子がいない場合:養子は2人まで
つまり、何人養子縁組をしても、相続税の計算上カウントされるのは最大2人だ。ただし、民法上は制限なく養子縁組ができるため、養子自体は何人でも可能。あくまで相続税の基礎控除計算に含められる人数に上限があるという話である。
事業承継における養子縁組の実務
事業承継で養子縁組が活用されるのは、以下のようなケースだ。
後継者の配偶者を養子にする。後継者が長男で、その妻を養子にすることで法定相続人を1人増やす。ただし、この手法は税務署から「租税回避目的の養子縁組」と認定されるリスクがある。最高裁の判例(2017年1月31日判決)では、「節税の動機と縁組の意思は併存し得る」として養子縁組の有効性が認められたが、実態として養子としての生活実態がまったくない場合は否認される可能性が残る。
親族外の後継者を養子にする。親族に後継者がいない場合、番頭格の従業員や外部から招いた人材を養子にして後継者とするケースもある。法律上は成人同士の養子縁組は年齢制限なく可能だ。ただし、既存の相続人との関係調整が不可欠になる。
2024年贈与税制改正の影響を整理する
2024年1月施行の税制改正は、事業承継における相続対策に大きな影響を与えた。改正のポイントを改めて整理する。
暦年贈与の生前贈与加算:3年→7年に延長
死亡前の贈与が相続財産に加算される期間が、従来の3年から7年に段階的に延長される。2024年1月1日以降の贈与から適用が始まり、2031年以降の相続から完全に7年間の加算が適用される。
事業承継への影響は明確だ。暦年贈与による自社株の移転は、より早い時期から計画的に行わなければ効果が薄れる。「相続が発生する直前に駆け込みで贈与する」という戦略は使えなくなった。
相続時精算課税の年110万円基礎控除の新設
相続時精算課税を選択した場合にも年110万円の基礎控除が認められるようになった。この110万円は相続財産に加算されないため、暦年贈与の7年持ち戻しルールを回避しつつ、毎年着実に自社株を移転できる。
この改正により、事業承継の生前贈与戦略は「暦年贈与」から「相続時精算課税+年110万円基礎控除」へ軸足が移りつつある。特に株価が低いタイミングで相続時精算課税を使って大口の贈与を行い、その後は年110万円の基礎控除を使って追加贈与を続けるという二段構えが有効だ。
相続対策の全体設計:何から着手すべきか
事業承継の相続税対策は、単一の手法ではなく複数の施策を組み合わせて設計する。優先順位を以下に示す。
第1ステップ:自社株の評価額を把握する。すべての始まりは現状把握だ。顧問税理士に自社株の相続税評価額を算出してもらう。ここが分からなければ、どの対策が必要かも判断できない。
第2ステップ:事業承継税制の適用を検討する。特例承継計画の提出期限は2026年3月31日。適用できる場合の効果が最も大きいため、真っ先に検討すべきだ。ただしM&Aの可能性がある場合は慎重に。
第3ステップ:生前贈与の戦略を決める。暦年贈与か相続時精算課税か。株価の水準、経営者の年齢、他の相続財産の構成を踏まえて選択する。一度相続時精算課税を選択すると暦年贈与には戻れないため、この判断は税理士と慎重に議論すべきだ。
第4ステップ:遺留分対策を講じる。民法特例の適用が可能であれば、推定相続人全員の合意形成に着手する。合意形成には時間がかかるため、経営者が元気なうちに進めるのが鉄則だ。
第5ステップ:遺言の作成。対策をすべて講じた上で、公正証書遺言を作成する。遺言がなければ、どれだけ生前に準備をしても、相続発生時に遺産分割協議が必要になり、不確実性が残る。
事業承継の相続対策は、5年、10年単位の長期計画だ。「まだ元気だから」と先送りにするほど、使える選択肢は減っていく。特に2026〜2027年は事業承継税制の期限が迫る重要な時期であり、今この瞬間から検討を始めるべきだ。