個人事業主の承継は「廃業と開業のセット」
法人の事業承継では、株式を譲渡すれば会社はそのまま存続する。経営者が変わるだけで、法人格は維持され、契約関係も原則として引き継がれる。
個人事業主の承継はまったく違う。個人事業には法人格がないため、事業そのものを丸ごと承継する仕組みが存在しない。先代が廃業届を出し、後継者が開業届を出す。法律上は「先代の事業が消滅し、後継者が新しい事業を始める」という扱いになる。
この構造を理解していないと、届出の漏れや税務上のミスにつながる。個人事業の承継で必要な手続きを、順を追って整理していく。
先代が行う手続き一覧
廃業届の提出
「個人事業の開業・廃業等届出書」を、廃業した日から1か月以内に所轄税務署に提出する。届出書は国税庁のWebサイトからダウンロードできるし、e-Taxでも提出可能だ。
廃業日の設定には注意が必要だ。後継者への引き継ぎが完了する前に廃業届を出してしまうと、取引先との契約に空白期間が生じる。事業に支障が出ないよう、後継者の開業届と同日にするか、引き継ぎ完了後に提出するのが実務的だ。
青色申告の取りやめ届出書
先代が青色申告を行っていた場合は、「所得税の青色申告の取りやめ届出書」を提出する。法定期限は青色申告をやめる年の翌年3月15日だが、廃業届と同時に提出するのが効率的だ。
消費税関連の届出
課税事業者であれば「事業廃止届出書」を提出する。提出期限は速やかにとされているが、廃業届と同時が望ましい。
インボイス発行事業者の場合は、「適格請求書発行事業者の登録の取消しを求める旨の届出書」も必要になる。登録の効力は届出から一定期間後に失われるため、スケジュールを確認しておこう。
給与支払事務所の届出
従業員を雇用していた場合は、「給与支払事務所等の開設・移転・廃止届出書」を廃業の日から1か月以内に提出する。源泉徴収した税金の納付も、最後の給与支払分まで忘れず行う。
確定申告
廃業した年の所得については、翌年の確定申告期限(3月15日)までに申告が必要だ。廃業年の事業所得は、1月1日から廃業日までの期間で計算する。減価償却費も月割りで計上する点に注意してほしい。
後継者が行う手続き一覧
開業届の提出
「個人事業の開業・廃業等届出書」を、事業開始の日から1か月以内に所轄税務署に提出する。屋号を引き継ぐ場合は、この届出書に屋号を記載すれば使える。
青色申告承認申請書
後継者が青色申告の特典を受けたいなら、「所得税の青色申告承認申請書」を事業開始の日から2か月以内に提出する。1月1日から1月15日までに開業した場合は3月15日が期限だ。
この期限を1日でも過ぎると、その年は白色申告になる。65万円の控除が受けられないだけでなく、赤字の繰越もできない。承継の手続きに追われて提出を忘れるケースが散見されるため、開業届と同時に提出してしまうのが安全だ。
消費税の届出
後継者が消費税の課税事業者になるかどうかは、後継者自身の前々年の課税売上高で判定する。先代が課税事業者であっても、後継者が新規開業であれば、原則として最初の2年間は免税事業者になる。
ただし、相続による承継の場合は扱いが異なる。被相続人の基準期間の課税売上高が1,000万円を超えていれば、相続があった年から課税事業者になる可能性がある。
課税事業者を選択する場合は「消費税課税事業者選択届出書」を提出する。仕入税額控除を受けるために課税事業者を選択するケースもあるため、取引構造を見て判断してほしい。
インボイス登録の引き継ぎ
2023年10月に始まったインボイス制度は、個人事業の承継にも大きく影響する。
先代のインボイス登録番号は後継者に引き継がれない。登録番号は個人のマイナンバーに紐づいており、別の個人には使えないためだ。後継者が課税事業者でインボイスを発行する必要がある場合は、自ら「適格請求書発行事業者の登録申請書」を提出しなければならない。
相続によるみなし登録期間
先代が亡くなって相続で事業を引き継ぐ場合は、特別な経過措置がある。先代がインボイス発行事業者だった場合、相続人は先代のインボイス登録のみなし期間中は適格請求書を発行できる。
みなし登録期間は、相続があった日の翌日から、相続人自身の登録が完了する日または相続があった日の翌日から4か月を経過する日のいずれか早い日までだ。この期間中に後継者自身の登録申請を完了させる必要がある。
なお、相続人は「適格請求書発行事業者の死亡届出書」を速やかに提出する義務がある。この届出も忘れがちなので注意してほしい。
2026年のインボイス制度変更に備える
2026年10月からは、免税事業者との取引に適用されていた消費税の経過措置控除割合が80%から縮小される。免税事業者のまま承継すると、取引先から仕入税額控除できないことを理由に値引きを求められたり、取引を見直されたりするリスクが高まる。
承継を機にインボイス登録を行うかどうかは、事業の取引構造を踏まえて判断すべきだ。BtoBの取引が中心ならインボイス登録を推奨する。BtoCの取引のみであれば、免税事業者のメリットを享受するほうが有利な場合もある。
許認可の取り扱い
個人事業で必要な許認可は、原則として後継者が新たに取得し直す必要がある。先代の許認可は先代個人に対して付与されたものであり、他人に移転できないためだ。
飲食店営業許可、建設業許可、宅地建物取引業免許、古物商許可など、業種によって必要な許認可は異なる。取得に時間がかかるものもあるため、承継スケジュールのなかで早めに準備を始めるべきだ。
建設業許可の場合、申請から許可取得まで1か月から3か月程度かかる。許可が下りるまでの間に事業を行えない空白期間が生じないよう、先代の廃業届を出すタイミングと後継者の許可取得のタイミングを調整する必要がある。
相続の場合は、許認可によっては承継が認められるケースもある。建設業許可は2020年の法改正で相続認可制度が設けられ、相続人が一定の要件を満たせば承継が可能になった。業種ごとに制度が異なるため、所管する行政庁に事前に確認してほしい。
屋号と商号の取り扱い
屋号は法的に保護されたものではなく、開業届に記載すればそのまま使える。先代が「山田商店」という屋号で営業していたなら、後継者も同じ屋号で開業届を出せばよい。
ただし、屋号名義の銀行口座は引き継げない。先代が口座を解約し、後継者が新たに屋号付きの口座を開設する手続きが必要になる。取引先には口座変更の通知を忘れずに行おう。
先代が屋号で商標登録をしていた場合は、商標権の移転手続きが必要だ。特許庁への名義変更届を提出し、商標権を後継者に移転する。相続の場合は相続人への権利移転が自動で生じるが、特許庁への届出は必要だ。
承継に伴う税金の注意点
贈与税・相続税
事業用資産を後継者に無償で渡す場合は贈与税がかかる。棚卸資産、機械装置、車両、備品など、事業用資産の評価額が贈与税の基礎控除(年110万円)を超えると課税対象になる。
相続の場合は相続税の対象だ。事業用資産のほか、個人名義の不動産や預金も含めた遺産総額で課税額が決まる。
個人版事業承継税制を活用すれば、一定の要件のもとで事業用資産に係る贈与税・相続税の納税猶予を受けられる。ただし、対象資産は土地(400平方メートルまで)、建物(800平方メートルまで)、一定の減価償却資産に限られ、棚卸資産は対象外だ。
所得税
先代が事業用資産を時価で後継者に売却した場合は、先代に譲渡所得が生じる。時価より低い金額で売却すると「低額譲渡」として、差額に贈与税がかかる可能性がある。
後継者が先代から事業用資産を取得した場合の減価償却は、取得した時点の価額を基に新たに計算し直す。先代の帳簿価額や償却方法がそのまま引き継がれるわけではない点に注意が必要だ。ただし、相続による取得の場合は、先代の取得価額と償却方法を引き継ぐことができる。
法人成りも選択肢に入れる
個人事業の承継は手続きが煩雑で、許認可の再取得にも時間がかかる。承継のタイミングで法人化するのは有力な選択肢だ。
法人であれば株式の譲渡だけで経営権を移転でき、契約関係も原則として維持される。許認可も法人として取得していれば、代表者が変わっても有効なケースが多い。
法人成りの判断には、売上規模、取引先との契約形態、節税メリットなど複数の要素が絡む。承継をきっかけに法人化を検討するなら、税理士と具体的にシミュレーションしておきたい。